消滅に向かって

「一年の計は元旦にあり」という言葉につられて今年も目標を立てた。ただ、「今年はこうする」というような抽象的な目標では自分への甘さが目標設定を楽な方向へと補正すると思ったので具体的な数値目標を設定した。具体的な数値についての言及は避けるけど、目標は体重を減らすことと走ること、そして英語の勉強を習慣化することだ。

走ることと英語の勉強に関して言えば早速挫折しているけど、体重を減らすことについては今のところうまくいっている。年が明けてから3週間経過して3キロ減っているということは1週間に1キロ減っているわけだ。これは結構いい調子なんじゃないだろうか。

このまま行くと1年で50キロ減ってたぶん死ぬので、そうならないようちょうどいい所で歩みを緩める必要があるのだと思うけど、今のところは鶏の胸肉と野菜と卵を蒸して食う毎日だ。外に出るときもゆで卵は携帯している。新興国の食事情というものはお粗末なもので、基本米で腹をふくらませる。おかずは単に米を食いやすくするための塩気に過ぎない。しかし俺は今炭水化物を抜くという減量にチャレンジしているから米は基本食わない。となるとおかずだけになる。おかずは塩気としての役割が強いので米抜きで食うには塩と油のパンチが強すぎるし量も少ない。というわけでゆで卵だ。

今日の晩御飯なんて蒸した玉ねぎとブロッコリーにポン酢と黒胡椒をかけたものを食った。試合前のボクサーの辛さというかひもじさというか、何故俺はこんな思いをしてまで痩せようとしているのか、そもそもなぜこんな食生活なのにもっと劇的に痩せないのか、玉ねぎとブロッコリーしか食ってないんだから、ボーナスとしてマイナス5キロ/日くらいのサービスがあっても良いのではないかと、造物主のケチ臭さに文句をたれてしまうほどにひもじい。思うことは食い物のことばかり。ラーメン、油ののった肉、炊きたての白飯、アイスクリーム。人間は生き物の性として食わねば生きていけない。だから食うことは生きるために必要な行動でしかないはずだ。それなのにこれほどまでに特定の何かを食いたいと欲する気持ちをもってしまうのはなにか恐ろしいことのような気がしてしまう。

ちょうど覚せい剤がこのようなものなのではないだろうか。でも覚せい剤は摂取すればするほど痩せるはずだから、そう考えると今の俺にとってはラーメンよりも覚せい剤の方がマッチしているのかもしれない。とにかくそのくらいラーメンや白飯が食いたい。誰かなんとかしてくれ。