不特定多数の人間による匿名的恐喝によってオリンピックのロゴが取り下げられた件に付随して発生しつつある問題へのいらだち

オリンピックの件で「パクリとはなんぞや」という根源的な問いが世間を賑わせているが、どいつもこいつも「これがパクリだ」と見つけることにやっきになっている。

いわさきちひろのタッチをパクったと言われる学生の作品に言及した記事がバズり、やれひどいだのなんだのと批判されまくっている。馬鹿ばっかりだ。

デザインてのは何かの再現だ。生まれてからこれまでに見て感じて、経験してきたことの積み重ねをフィルタとして対象を再構成しているに過ぎない。ドラゴンボールしか読んだことのないやつに「漫画とはなんだ」と聞いたらまず間違いなく悟空の絵を描くだろう。それがデザインのメカニズムだ

色々なものの一部をパクリ組み合わせたものを「作品」と呼び、世に出す権利はある。それに対して「これは俺をパクっているからやめろ」という権利もある。
しかし、何の関係もないやつが「これはあいつをパクっているから作品の出展を取り下げろ」という権利はどこにもない。

田中圭一という人がいる。この人は漫画界の巨匠と言われる様々な人のタッチをパクってエロ漫画を描くという、非常にゲスい作風で一部に人気がある。もちろん俺も好きだ。

察しの良い人ならばわかるだろうが、冒頭の学生の作品と田中圭一氏の作品のアプローチは同じだ。表面的なタッチをあえて似せることに意義を見出している。似せることでどのような意図を伝えたいのかを代弁するような野暮なことはやらないけど、少なくともパクることが作品の一部として含まれている。

全く同じ両者のアプローチで、何故ここまで周囲の反応が違うのだろうか。これは、ひとえに学生の作品がバカに見つかったということなのだと俺は考えている。ここで言うバカとは、認められない自分を見つめず、受け入れない社会に原因があると考えるバカを指している。そういう奴は権威を否定する隙を常に伺っている。

オリンピックの件でパクリ以上に根深そうな問題としてあるのが「出来レースだったのではないか」という疑惑で、バカどもはここぞとばかりにオリンピックロゴの選考委員会に対して「パクリなのにわかってて採用したんだろう、お前らの息のかかったやつを選んだんだろう」と、憶測で批判している。これは、本質的に言ってパクることや不正に対しての糾弾ではなく、権威を批判することで逆説的に自分が認められない現実が間違ったものであると示したいだけだ。

「俺は毎日頑張っているのに誰にも目をかけてもらえず、世にでることもできない。それなのにあいつは人のものパクってるくせに権威側の人間になっている」という、単なる妬みによるものだ。

俺はそれをダメだとは思わない。バカな奴らはそうやって妬んで悪口をいうことで満足できるからだ。そういうやつは「オリンピックのロゴを作ったやつは人の作品をパクってるからクソだ」と口にすることで心にある仄暗い嫉妬を射精するがごとく発散できるから、ある意味で健康的だ。

しかし、インターネットによってバカが権力を得ることができるようになってしまった。この権力にはなんの背景もなく、単に不特定多数のバカが自分の置かれている立場よりも恵まれていると勝手に判断した他人を貶める行為を「他の連中も同じように言っている」という謎の論理で正当化することで生まれている。本来認められるべき自分が権威に収まっている一部の人間によって不当に貶められていると考えるバカどもが、インターネット上に生まれたこの新しい権力に、誘蛾灯に集まる蛾の如く集まっている。

日本人は自省的であることが美徳とされている。人に迷惑をかけていると考えられる者が善で、そうではない者は悪とされる。それ故、本来何の権利も持たないはずのバカが「俺には迷惑がかかっている」という被害妄想を盾に他人を悪と認定する。
少子化の根本的な原因はここにあると俺は思っているが、それはさておき、インターネットで生まれた「多数のバカによる被害妄想を基礎としたクレーム集団」という、流れの滞った下水の上澄みのように腐ったバカどもが、己の自己満足のためにこれはパクリじゃないか、あれはパクリじゃないかと草の根を分けてデザイナーの過去の作品を探している状況はまだ暫く続くのだろうと思う。

日本の世の中は自己犠牲的で盲目的に従順な人間であることが市井の人の価値とされてきた。民族性でもあるし、敗戦によるものでもあるのだろう。しかし、そういう価値観を「俺はそうなんだけど、お前はどうなんだ」と人に押し付けることで我慢比べのようなことをやり続けることには何の価値もないと俺は思う。耐え難きを耐えることが美徳だと思うならば自分一人でやれ。他人にそれを押し付けるんじゃない。少なくとも、なんの権利も持たない奴が「あれはパクリだ、パクったやつは死ね」と、当事者の気が狂うまで攻撃するのは間違いだ。パクられたと思うやつだけが「それは俺のパクリだからやめろ」と言う権利を持っている。それ以外は全て単純な恐喝に過ぎない。クソが。