インターフェース人間

「あんまり言わない方がいいよ」ってはずだった言葉がいつの間にか「言っちゃダメ」な言葉になった。そうなると言葉の悪意は余計に大きく見積もられるようになる。

ただ言わない方がいいよって程度の言葉だった時には大概の人が許せたんだけど、「言っちゃダメだ」ってルールになると変わってくるんだよね。悪認定された手法を使われると明らかな悪意があるんだって認識しちゃう。

俺は日本は凄い窮屈だって思うんだけど、なんで窮屈に感じるのかっていうとここの部分。俺が悪意を持っていなくても、ルールとして「それは悪だから」って定義されちゃう。だから悪意を持っていなくても人はそれを悪だと認識して受け取る。みんな誰かの作ったルールに基づいて人の行動を評価してる。

そしてそのルールは増えていくんだよね。なんていうか、増えていかないとルール自身の正当性を担保出来ないんじゃないかってくらいに理由なく増えていく。そうやって増えていくことによって「良い人」の定義が狭くなっていくんだよね。だから個性も消えていく。誰に聞いても同じような応えが返ってくるようになる。

自虐的且つ自律的に非常に厳しく自制して、自分と同じように自制する苦しみに耐えない人に対して敵意をむき出す。

「俺は耐えてるのになんでお前は自由にふるまうんだ」と。

それって道徳的って言えるのかね。自分のものさしで判断しないやつに頭なんかいらないでしょ。自分の頭で考えて判断しない以上に悪い事って世の中には無いと思うんだけど、誰かの判断に自分の感情までもを委ねる事が人格者だってことになってる。そんな人格者と話すと疲れるんだよね。そいつが実体じゃないから会話にならない。「いや、一般的にはそうとは判断されない」みたいな。ただのインターフェースと化してる。

とはいいつつも自分に対しては「1億人が悪だって思うようなことでも自分がそう思わないなら胸を張って実行しろ」って思うんだけど、やっぱり難しいよね。窮屈になる。だから日本は住みづらい。いい国なんだけどな。仕事の上では最良のパートナーだから仕事は日本に向けて、生活は海外に軸を置く。ってのが今のところ俺が一番生きやすいやり方なんだよな。


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